消費税で貧困拡大は避けられない。


消費税が導入されたのは1989年。
バブル景気の真っ盛りだった。
貧困と格差を、どんな立場の人であれ少なからず感じ取れるような今日では、庶民の給与や年金の目減りというものの一つひとつに頓着せざるをえない。
最近では、原油価格の高騰の結果、全国の漁船20万隻がいっせいに休漁するという、歴史的な出来事がついに日本国で起きる事態にいたっている。日本も捨てたものではない。このかぎりでは、燃油高は、地球規模で襲いかかったが、それにたいする怒りも国際的規模で広がったことを示した。
さまざまな負担増、物価高に耐えるところまで耐えてはきたが、その緊張した糸がぷつんと切れて、もう耐えられないという思いが、たとえばいっせい休漁という大デモンストレーションに接続している。

こんな現状だから、社会保障の財源をだしにして増税を図ろうとする勢力にとっては、少なくとも立ち止まらざるをえない事態だといえる。ストレートな消費税増税ではなくて、たとえばたばこ税などのように他に財源を求める所説が浮上する。あるいは、あまりにも消費税のしくみが不公平であるために所得税の累進性を高めることを抱き合わせに提案する議論もでてきた。

けれど、消費税増税こそ本命である。
そうであるのなら、消費税の負担はどれほどのものか、どんな影響を与えるのか、あらためて考えてみてよい。
消費税が導入されたのはバブル景気のただなかであったと先にのべたが、だとすると、負担増、物価高に加えて、当初の3%から5%に引き上げられてきた消費税負担は、その時期にくらべると重くのしかかっているといえるだろう。

消費税は、生活保護受給世帯にももちろんのしかかる。
夫婦・子ども2人の世帯では、生活扶助基準額は年240万円程度(東京23区)だから、単純に5%をかけると消費税額は12万円になる。生活保護を取り巻く状況は、老齢加算母子加算の削減・廃止にみられるようにますます厳しさをまし、基準が引き下げられている。つまり、社会保障費の自然増1兆1000億円を削減しようという政府の方針の、ねらいうちにあっているのが生活保護だ。
だからこそ、生活保護受給者たちは、もう50年も前にはじまった「朝日訴訟」の精神を引き継いだ生存権裁判に臨む決意をしたわけだ。文字どおり生存権が侵されている。

公平とは何かを問うべきではないか。
所得の多い人は多く、少ない人は少なくという考え方に加えて、生きていくための生活費には課税しないということを原則にしなければいけないのではないか。この意味では、セーフティネットたる生活保護世帯が消費税を負担している現実はどうか。

湯浅誠は、消費税は国家的な貧困ビジネスだと喝破したが、つまりこれは、貧困状態にある人をなおいっそう深刻な貧困に陥れていくしくみであることを指している。それは、先の生活保護世帯の簡単な事例でも明らかだろう。生活保護を最低限度の生活費であるとすれば、生活扶助費のうち5%の消費税を支払うのは、すでに最低限度を下回っていることを示している。生存できる臨界点を負担が超えているということだ。

消費税をアップすれば、逆進性はさらに大きくなる(上図)。
貧困領域にある人ほど、重い負担の消費税増税はなんとしても避けるべきだろう。
人間として大事にされる社会を望む人なら、消費税増税にノンと叫ばざるをえない。
とるべきところが温存されている(下図)から、なおさらそう思わざるし、引けない。