厚労省の差別拡大主義。


社援保発第0401002号通知。

生活保護の医療扶助における後発医薬品に関する取り扱いについて」という、問題の厚生労働省の通知を受けて、函館の福祉事務所が発信した文書を下記エントリー(下記リンク)で紹介した。
冒頭の厚労省通知が具体的にうごきはじめているようだ。
隣県の薬剤師会が関係の薬局等に通知した内容を送ってもらって、それを確認してみた。それには冒頭の社援保発第0401002号通知の写しが別紙として添付されている。
薬剤師会の通知は、つぎのように書かれている。

当該取扱い(医療扶助における後発品の取扱い=引用者)では、処方医及び薬剤師が後発医薬品の利用が可能と判断した場合には、被保護者は原則として後発医薬品を選択されることとされ、特段の理由なく後発医薬品の選択を忌避していると認められる場合については、被保護者に対して指導等が行われます。

一見するとどこにも問題がないような文章だけれど、もともと医師がある医薬品を利用しようと判断し、診療の場で患者にそれを説明をすれば、ほとんどの患者は了解するだろう。いうまでもなく専門家である医師と患者の関係は、双方向ではあっても非対称であるからである。端的にいえば、患者が医師より医学的な専門知識をもつとは通常はありえないからである。医師が患者である場合もふくめて、なかには、医師に劣らぬくらいの専門知をもつ人がいるにはいるだろうが。

しかし、以上で薬剤師会が会員薬局・薬剤師に伝えようとしていることは、そのことではない。そうではなく、後発品を「特段の理由なく」選ぼうとしないケースについてである。こんなことは、ほとんどありえないと思うのだが、なぜ厚労省が、ある種特別の例を引き合いに出して、厚労省の態度を通知という形で徹底しようとしているか、そこにこの問題の本質があるだろう。

結論を先にいえば、生活保護の徹底した削減である。生活保護を制度的に廃止しようとする意図とそれは連続している。
別のいいかたをすれば、徹底した弱者への政策的、差別的態度である。この問題での生活保護受給者への態度と、あるいは母子加算廃止にみられる母子家庭への容赦ない姿勢などをみれば、ただちにそれが浮き彫りになる。生活保護老齢加算廃止も、生活保護の移送費問題も同じ性格だといえる。
厚労省のねらいは、生活保護というトータルな制度的枠組みのなかの部分で改悪を積み重ね、生活保護という制度そのものを骨抜きにしようとするものだ。
そのなかでも、すでに母子、高齢者という部分を排除しようというのだから、差別的態度は徹底しているといわなければならない。


厚労省が差別を指示−生活保護は後発品を使え。
に、いくつかのコメントをいただいた。そのなかに、つぎのコメントもあった。

生活保護受給者が医療扶助(生活保護の援助の一つ)を利用し通院する場合、生活保護受給者に医療について選択する自由はありません。
医療扶助は生活保護事務を実施する福祉事務所(自治体)と医療機関(病院・薬局)との間で交わされる委託・受託事務だからです。
そこに、生活保護受給者の意思は介在しません。
厚労省が特定の者を選定して、そこに介入することはおかしい」と言う事事態(ママ)がおかしいんです。

最大限ゆずって、受給者には「選択する自由」がないと仮定して、では「選択する自由」はどこに、あるいは誰がもっているのか。まさか厚労省だとは書き込んだ人もいわないだろうが、上にのべたように医療というものが、患者と医師の共同の営為ととらえるなら、その関係性にこそ医薬品を選択する自由はあるだろう。
その意味で、厚労省は(医療に)介入しているのである。

新自由主義というものは、下支えがあってはじめて成り立つということを別のエントリーでのべたが、このコメントはそれを如実に示す一例だろう。「自己責任論」と恤救的視点は厳然としてあるのだ。

厚労省は、少なくとも舛添厚労相の最近の言動によるかぎり、毎年2200億円、1兆1000億円の削減計画を実行に移すのは限界に来ているという認識に立っていることになる。だから社会保障削減の連続の結果、削減が限界にきているという厚労省の言葉どおりに受け止めれば、今現在彼らがやろうとしていることは、そのなかで最も弱い部分をさらに切り捨てようとする以外のものではない。
つまり、移送費問題や今回の「後発医薬品問題」でみえてくるのは、貧困と格差をさらに徹底しようとする、厚労省新自由主義的態度である。