患者と医師の「双方向にならない関係」


医療という世界で患者である私たちは、その世界の全体像を知るには、医療(サービス)を提供する側からものぞいてみる必要がある。医療を、提供する側と受ける患者の共同の作業だととらえるとすれば、なおさらだ。
えてして、患者としての私たちは、医療サービスはアプリオリに受けるもの、提供されていわば当然という思いと、医療技術の今日の到達点とはほぼ無関係に過度の期待を寄せる。
提供する側は、一部に不心得者がいるにせよ、ほとんどが、おそらくは他の世界の人びと以上に社会的使命を正面から受け止めている人たちだと思う。少なくとも一度はそこを通過してきただずである。平たくいえば、患者の命を救うための努力を彼らは惜しまないのだ。
しかし、それでも、技術の限界がある。制度の限界がある。
こんな受ける側と提供する側の思いが真逆とはいわないまでも、落差が現にあるなかで、医療は成り立っている。双方向にならないのである。
だから、患者という立場を離れて、医師や看護師、放射線技師らの動きにあわせて、同じように自らも動き、今度は患者をみつめ、医療従事者を疑似医療従事者の側から見つめなおすことが、全体像を把握しようと思えば必要に思える。何にはそんなこが可能な人がいるかもしれないが、無理な話だといわれるかもしれない。そのときは一度、病院を30分でも1時間でも患者になりきってみて回ることをおすすめする。
そうすると、日本の医療がどのように成り立っているのか、その一端が少なくともみえてくる。
いいたいのは、受ける側と提供する側にくざびが打ち込まれたままでは、日本の医療はけっしてよくならない。はっきりしているのは、患者にとって必要な医療を実現しようと思うのならば、それを克服しないとだめだということだ。

追記;
勤務医たちの動きに言及していくつかエントリした(id:coleo:20080115、id:coleo:20080114)。団体結成を予定している準備会のホームページをみてみると、基本的にまっとうな情勢把握と要求が列記されている。ならば、順風満帆かといえばそうではないと考える。医師会がどうこれに対応するか、もっと分かりやすくいえば開業医がどう動くか、病院開設者はどうか、などハードルはいくつもある。
しかし最も高いハードルは国民の医療にたいする理解としばしば偏見も散見されることの多い、医師にたいする見方だろう。