内田樹氏の格差観

本人が「ほんと」だと思っていることは、その人にとっては「ほんと」である。
私自身は「格差」というのは(ひろく「貧富」といってもいい)幻想的なものだと考えている。
かつて「一億総中流」という認識がひろく流布しているときには(実際には天地ほどの所得差があったが)日本人は一億総中流気分であった 。

内田氏は以上のように*1、「日本でも格差がアメリカ並みに拡がっている」と書いている人と「日本は世界でも例外的に格差の少ない社会である」と書いている人と両方いる。そして、どっちもほんと、という。
幻想だと彼がいう根拠は、こんなところか。(内田樹の研究室

所得200万円の人から見ると、所得が1億円の人も所得が10億円の人も「(雲の上の)同じ世界の人」である。
だが、同じその人は所得500万円の人を自分とは「(同じ地上の)別世界の人」だと思っている。
一方では9億円の所得差が「ゼロ」査定され、一方では「300万円」の所得差が「越えがたい階層差」として意識される。
格差というのは数値的なものではなく、幻想的なものであるというのはそのことである。

ローレンツ曲線でみれば、この問題意識がほとんど意味をもたないことはたちまち分かるのではないか。

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『もしも世界が100人の村…』でみる所得格差
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内田樹氏の格差社会観って……。

*1:ジニ係数って何?