世論調査を読む− 政治を変える者への模索


予想したとおり、ポスト麻生に照準をあてたメディアの報道が相次いでいる。自民党内のブレを報じたもの、民主党からのゆさぶりを強調するものなど、その意味で多彩だといえなくもない。
重要なことは、こんな自民、民主の、あるいは他の政党もからんでいるのかもしれないが、我われの眼に映るものだけでは、といってもそのほとんどはメディアが流すものによらざるをえないのだが、それだけでは、いまの局面の動きは正確にはとらえられないだろうということだ。
これで自民党はおしまい、民主党が大勝するなどと皮相な予測をたてることは実に簡単なことだが、事態は単純には動かない。なかには、そんな想定をし、よろこんでいるブロガーさえ眼にするくらいなのだが。

支持率世論調査の公表につづく、各社のいっせいの報道は、共通する部分が少なくない。
その一つは、麻生個人に支持率低下の原因を求める論調だ。いわば、麻生の失政が今日の事態を招いたというものだ。もちろん、日本の政権のトップは彼だから、彼の統治能力もふくめて問われているのは確実なのだろうが、しかし、今日の事態は彼によってもたらされたと私は考えない。
それは以下の理由による。

すでに過去のエントリーで示したように、小泉構造改革のもたらした日本社会のさまざまな亀裂を、小泉以後の、安倍、そして福田、麻生という領袖たちは引き受ける運命を背負ってきたと私は考える。別の言葉でいえば、小泉のすすめてきた新自由主義的な構造改革を引き継ぐと同時に、小泉がつくりだした先の亀裂を、一方では、政権として政治的に修復する使命をもって登場している。社会的な統合をはからなければならなかったのだ。
だから安倍は、それにこたえて教育基本法の改悪をおこない、国民投票法を成立させた。そして、安倍の政権放りだしで修正を要したといえ、そのあとを継いだ福田も、麻生も、やはり構造改革路線を基本におきながら舵とりをすすめてきた。そして米国の顔色を常にうかがいながら、米国への従順な態度はけっして変わらなかった。それが、たとえば後期高齢者医療制度をめぐる内閣の修正発言や手直しという経過はたどったとしても。給油活動が一時的には途絶えたとしても。
つまり、自民党政権はこれまでの長年の自民党政治、ここでは財界・大企業優先の、米国追従の政治路線を指してそうよんでいるが、それを変えることはなかったのだ。

同時に、この時期の重要な出来事は、昨夏の参院選の結果だった。
野党が与党を議席で上回る事態が生まれた。民主党の大勝と断定せずに、あえて私がそうよぶのは、その後の福田・小沢の大連立の画策が明らかにしたとおり、参院選の結果を事態は重大とある種の危機として考えたのは、ひとり福田・自民党だけではなく、民主党・小沢もそうだったということによる。
分かりやすくいえば、つまり小沢は参院選で従来の民主党より左寄りの立場をとって票を集めたわけで、それ自体、当然ながら従来の小沢の政治路線とは矛盾をはらんでいる。選挙に勝利するために生活重視をかかげたものの、本来の同党の基本路線たる新自由主義路線に立脚するのなら、そこに齟齬が生じるわけだ。
その後の国会論戦において明らかなように、民主党が主導権をにぎって、たとえば大企業の横暴に反対する態度はみえたかといえばそうではなく、テロ新法をめぐってはむしろ自民党以上の右寄りともいえる対案をもったのであって、国民の立場から冷静にながめると、民主党は何をしてくれたのだろうか、という疑問がわき起こってまったく不思議ではない。

少し回り道をしたが、今回の世論調査にも、国会の中での各党の取った態度が少なくとも反映している。自民党はダメだが、民主党にはたして未来を託せるのかという思い、戸惑いが。
これが、調査から垣間見える二点目だ。

この二点目を仮に民主党にとっての閉塞状況と考えるならば、参院選の経験からすると、支持をひろげるために民主党が採るべきなのは、いうまでもなく左寄りの路線をとることが一つある。
しかし、それはできない。すでに参院選から少なからぬ時が経過した。1年余りだが、資本主義そのものがどれほどの復元力をもつのかさえ問われかねない時の移り変わりだったといえる。大企業も自らの利益確保のために、反発を買うこと必至の派遣切りをやらねばならず、それは少なからず正規雇用にも次第に波が及ぶだろうと推測されうる今日の事態だからだ。自民党政治のゆきづまりは極まりつつあるからだ。
片方で多くの国民は、だからこそ自民党にとってかわりうる最も可能性ある民主党に期待をかけるのだろうが、その国民の期待もトーンダウンしてきた状況を呈しているのが今日ではなかろうか。

民主党よ左にかじを切れと叫びたいが、状況はそれを許さない。自民党政治の「危機」が深まれば深まるほど、その大もとである財界・大企業優先、米国優先の是非を問わねばならず、いきおい、この二つの点において、では民主党はどんな態度なのか、という問いを一方で発せざるをえないからだ。
民主党は、少なくとも今の民主党は、財界・大企業優先反対、米国優先に反対するとは絶対にいえないのだ。

このような背景をもちながら、自民、民主の動向が決定されるのかもしれない。政党再編が語られ、何らかの形で実行に移されるかもしれない。年末から年明けにかけては、このように考えるならば、将来、日本の政治に大きな意味をもつ時期となる可能性をはらむともいえる。

国民は、自民党政治をかえうる者を模索しつづけているといえる。だから、逆に、誤解を恐れずにいえば、メディアの使命の一つはそこにノイズを入れることにある。世論調査の結果解説の一つひとつをその視角から眺めてみる必要がある。
もちろん、私たちは、その将来を国会のなかだけに任せておくわけにはいかないのであって、もとより自民党民主党の再編論議だけに任せておくわけにはいかない。監視し、見極めなければならない。
米国いいなりも、大企業いいなりの政治をも望まないのならば、それが求められている。
(「世相を拾う」08257)