自民一長老が新医療制度を叱る。


自民党元総務会長の堀内光雄氏が『文藝春秋』6月号に「『後期高齢者』は死ねというのか」という論文を寄せている。
いうまでもなく、4月からスタートした後期高齢者医療制度に反対する内容で、論文からは、後期高齢者という名で自らもくくられてしまった氏の激しい憤りが行間から伝わってくる。

たとえば、つぎのように表現はきわめて抑制的なものだと思うが、しかし、この制度の対象となる多くの高齢者の声をきわめて正確に示したものだと思われる。

私を含めた75歳以上の人たちはもはや用済みとばかりに、国が率先して“姥捨て山”を作ったかのような印象を受ける。

半世紀以上にわたって国のために働き続けた年配者を、尊敬させるのではなく厄介者のように思わせるのではないかと危惧している。

ようは、自らが社会的に排除された状態を想像してみたらよい。自らの意思とはまったく無関係に、有無をいわさず別建ての制度に移された状態だ。そこに差別を感じるだろう。自分の居場所がないと思うだろう。
堀内氏の言葉にまつまでもなく、厄介者としての扱いだ。

新しいこの制度は、堀内氏が的確にのべているように、保険制度ではない。氏の言葉を借りれば、保険とは、「本来、子組員全体が一定の拠出金を出し合って、事故や災害、病気などの際に補填する」ものだ。まさに、「リスクの高い人と低い人を一緒にして全体」とするから保険なのである。
だから、この後期高齢者医療制度は75歳以上の人のみをくくる制度だから、保険ではないということになる。
したがって、容易に想像できるのは、リスクの高い人だけの制度だから、財政的に成り立たせるにはベースの保険料も徐々に値上げすることになるというわけだ。

設計上の、以上のような根本にかかわる問題点をはらんで出発した。
怒りの大きさを前に政府与党は手直しを再三せざるをえなかった経過はこれをそのまま表した格好だ。「この制度自体がうまく回っていくかも疑問」という堀内氏は、いっぽうでこうのべている。

日本は国民皆保険という、世界に誇るすばらしい保険制度をもっているた。しかし、75歳以上の人たちを別の制度に入れてしまうのならば、これはもう国民皆保険ではない。

異論はまったくない。


この自民党一長老の、制度を撤回せよという要求に端的なように、後期高齢者医療制度のはらむ問題は、制度設計がややまずかったという程度の問題ではなく、社会保障の視点をおよそ欠いた、財政的側面で人を扱う根本が問われるものだ。




「花・髪切と思考の浮游空間」にも一部改変し公開しています。