竹原信一から大学入試問題ネット投稿事件まで

橋下の大阪から遠く離れた地方の自治体で、そのふるまいが他に類をみない一人の首長がいた。たとえば、彼のやったことはといえばこんな具合。市長を務める自らの自治体の全職員分の給与明細を公開した。たぶん本人の了解なしに他人の給与を明らかにするというのは普通はありえない。市の職員労働組合の事務所明け渡しを求めた。また、議会にたいしては、自らのブログで辞めてもらいたい議員への投票をよびかけるということもあった。議場にマスメディアがいることにたいして、そのあり方に批判をもっていた彼は感情をむきだしにし議会への出席を拒否したこともある。また、議会の招集をしなかったりもした。まだ、ある。専決権をちらつかせ、職員や議員の給与削減、議員や教育委員や選挙管理委員報酬など専決処分した。この人物は、竹原信一(元阿久根市長)という。

大都市と地方の一自治体という違いはもちろんあるが、橋下を先ほどあげたのは、竹原と橋下との間に政治手法において共通点が少なくないと思うからにほかならない。以前にこの二人と、東京の石原、愛知の河村の似通う点についてふれたことがある。そこではこうのべていた。

その政治手法がまるでそっくり。議会と職員を狙い打ちにするというそれ。竹原を例にあげると、議員・職員の高給取りを持ち出し、市民の支持をうるという作戦に出る。橋下も河村も、そして石原も同様でしょう。都民、府民、市民の生活を追い込んでおきながら、それを逆手にとって、窮状を実感する彼らの共感を呼び起こすのです。「高給取り」、この言葉はいつも大衆の不満を一言で象徴するものでした。 


現行の枠組みのなかで本来、解決できるものを、いかにも新手の発想であるかのように宣伝し、住民の不満・不安をそこに収斂させていくと詐欺的手法といえなくもありません。
ふりかえってみると、地方自治体の仕事は、地方自治法に示されているように、「地方公共団体は、住民の福祉の増進を図ることを基本として、地域における行政を自主的かつ総合的に実施する役割を広く担うものとする」(第1条の2)のですから、彼らの主張はこの点にふれないところに弱点があるといえるのかもしれません。
議会の役割を低めるという共通点は、すなわち(自治体)首長の事実上の権限を優先させるということにほかなりません。


議員定数の削減という結論に象徴されるように、議論を尽くすという民主主義の遠回りをショートカットし、議会の権限を極力を弱め、行政の絶対的な権限をめざしていくという点でもまったく同じではないでしょうか。
河村たかしと橋下徹と竹原信一、そして石原慎太郎

議会の権限を極力、弱め、首長の絶対的な権限をめざしていく。程度の差はあれ、4人は共通しているように思う。この竹原がブログで自らの主張を配信していることを知る人は少なくないと思う。ただ、そのタイトルが「住民至上」というのだから、まったく皮肉としかいいようがない。そうして市長不信任決議住民投票をへて出直し市長選に立候補したものの、竹原が落選したのが1月だった。紆余曲折の過程があったにしろ、最終的に住民投票という直接的手段で竹原に住民が審判を下したことは、憲法地方自治法だけでなく多くの法を無視したりそれに抵触するような竹原の言動があったがゆえに、どこかに安堵感をもつし象徴的な結末に思えてくる。

政権党が売りにしてきた子ども手当。その衣替えを政権が企図したのは今年1月だった。新たな子ども手当法案を閣議決定している。その内容は、2010年度の子ども手当を延長し、3歳未満の子供に月7千円を上積みするものであったが、自公に迫られた結果、子どものための手当に名称をかえるとともに、中身も変更されてしまったことは記憶に新しい。
こうした政権の現実がある。だから、さきの4人のような、非民主的な政治体制あるいはそれを志向する考えを権威主義とよぶとすれば、こうした自治体首長の際立った権威主義的手法がよけいに大衆的な共感で迎えられているように思える要因は、他方の、先行きがまったくみえない政権のかじとりがそれに手を貸していることにあるのは否めないと思える。したがって、こうした政治の現状と傾向は、声高にさけばれてきたいわゆる地方分権という考えをいっそう勢いづかせる結果となっているといってよいかもしれない。

さまざまな出来事が年末にめぐってくる。2011年は、相撲の世界も揺れた。八百長問題が発覚し、協会は関与した力士を処分した。あれだけテレビを席巻していた島田紳助暴力団関係者との交際を理由に突然、引退した。7月には、地上アナログテレビ放送が停波し、地上デジタル放送に完全移行した。けれど、地デジに対応できない高齢者や低所得者の存在が指摘されながら見切り発車した感はぬぐえない。
この年の1月、秋葉原歩行者天国が約2年7カ月ぶりに再開した。その歩行者天国をいったん閉じる契機になったのは秋葉原事件。11月には実相がいまだに明らかにならないまま、オウム真理教事件の全公判が終了した。この2つの事件は、その時々で現代を映し出していたと思う。
それでは2011年の、現代を投影した出来事とは何だろうか。つまるところ、それは人それぞれ違うかもしれない。しかし、ここでは、大学入試問題のネット投稿事件(2月)をあげたいと思う。竹原にしても、秋葉原事件の当事者もネットにおける他者との関係性を選びとっていたと思える。ネット投稿事件は、肥大化するネット投稿と検索を映し出している。カンニングはボクらの時代にもあったし、昔からあったものだろう。けれど、自分のもつツールでもなく周囲の席の誰かを介するでもなく、つまりボクらが考えるだろうものとは異なり、この年に明らかになったカンニングといわれるものは、携帯電話を利用しウェブ上の不特定の他者を経由しているのだから、一つの歴史の飛躍がそこにみえると思えるのだが。