2万3000円


「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しています。


生活保護母子加算が復活する。その復活する金額です、これは。

母子加算:「修学旅行に行ける」…復活に胸なで下ろす

この記事をめぐって、2ちゃんねるニュース速報+で話題になっているのは、おすしの話題です。
記事の、

「復活したら、息子とおすしを食べたい。ずっと食費も削ってきたから」と話すものの、息子が来年3月に高校を卒業すれば、母子加算の対象から外れる。

の部分。

けれど、記者と記者のインタビューを受ける側との間のやりとり、つまり記事になった部分の前後の脈絡を無視して単純化してしまうと危険です。生活保護母子加算の削減が問われず、生活保護受給者がすしを食べる是非が現実に語られているように。
インタビューに応じた女性は、もちろんおすしを強調しようとか、そんなつもりはなかったでしょうが、加算が廃止され切り詰めてきた今日を振り返り、少しは余裕がでるという話をしたのでしょう。このように私は推測しますが、世間では、生活保護世帯という存在が、あろうことか寿司を食するとはけしからん、コメントではこんな調子が散見されるわけです。言葉をかえると、弱い者にたいする徹底した排除意識がそこにある。それはしばしば、生活保護世帯にたいしてであり、在日韓国・朝鮮人であったりする。

しかし、そもそも母子加算が廃止される以前にはあったわけですから、そこから話ははじまらざるをえません。そのことにふれずに、復活後の将来を語る生活保護受給の母子家庭の語った一言一言を論じてもこの問題の出発点を欠落させているという決定的な弱点にたいする批判は免れません。
遡って、生活保護削減で老齢加算母子加算が廃止の対象になったのは、2006年の財政審の建議が発端でしょう。加算がつけられてきたのは、老齢や母子がより弱い存在であるからにほかなりません。そもそも社会保障というものが、社会的な弱者の生きる権利を最低限度で保障しようとうする点から出発していると考えるなら、しごく当然のことです。財政審は、社会保障費削減という課題をいかに成し遂げるかという点で、老齢加算母子加算に照準をあてたのです。理由は簡単。財政的問題。歳出削減ということでした。

母子加算は先にものべたように、一人親の生活保護世帯に対し、子どもの健全な育成のために出されているもので、子育てに欠かせない給付と位置づけられてきましたし、それを廃止するには(はたして理由が存在するのかどうか?)明確な根拠がなければなりません。
その点で、もう随分、昔のことですが、朝日訴訟というものがありました。
憲法25条に明記された「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、つまり生存権を保障するための最低限度の水準というものは、予算の有無によって決定されるものではないと、東京地裁はこの裁判で断じたのでした。判決はさらに、最低限度の水準は、予算を「指導支配する」とさえ言い切ったのです。
この立場から判断すると、財政審建議や、たとえば母子加算にみられる生活保護削減の違憲性が浮き彫りになってしまう。

2ちゃんねるスレッドにみられる生活保護世帯にたいする意見は、それを確認・立証した上での発言なのか。そうでなければ偏見といわざるをえません。
人間は社会的存在だとよくいわれます。自分より弱い立場の人へのまなざしとまず手をつなぐことで、はじめてそれが確認されると私には思えてならないのですが。
(「世相を拾う」09230)