「政策一元化されるべき」という小沢反論のための反論

件の議員立法にかかわって、浦部法穂氏の見解をいちど紹介しました(参照)。その違憲性についての見解は実に説得力に富むものだと私は思います。
こんにち小沢一郎が横路氏にたいする反論をのべている(参照)ことを考えると、あらためて浦部論文を扱うことが必要だと思うわけです。ですから、浦部氏の主張をいま一度、扱いたい。
長くなりますが、引用します。氏はこうのべています。

民主党のこの方針は、自民党政権下では党内の事前審査を経ないと政府が法案を提出できないということになっていたが、そうした政府・与党の二元的意思決定を一元化することで、族議員の関与で法案が歪められたり法案の提出が遅れたりといった事態をなくすためだ、と説明される。わかりやすくいえば、政府の政策決定に与党があれこれ「いちゃもん」をつけてくると政府の政策遂行に支障を及ぼすことにもなるから、一般行政にかかわる政策決定はもっぱら政府が行うこととする、ということである。


こうした方針が、さして違和感もなく与党第1党によって打ち出された背景には、成立する法律の圧倒的多数は政府(内閣)提出のもの(=閣法)であり議員立法はきわめて少ないという日本の実情がある。そして、国会法は、議員が法律案を発議するには、衆議院では議員20人以上、参議院では10人以上(予算を伴う場合には、衆議院で50人以上、参議院では20人以上)の賛成が必要であるとして、議員による法律案の提案に「しばり」をかけている。国会法は、いうまでもなく、衆参両院の議決によって作られたものであるから、これは、いわば議員の「自己抑制」でもある。議員提出法案には、とかく、自分の選挙区や支持団体・業界の利益のためだけの「おみやげ法案」が多い、ということから、古く1955年に設けられた抑制策である。

だが、憲法の原則に立ち返ってみると、閣法が主流であり議員立法は抑制されるという立法のあり方は、主客転倒である。憲法41条は、国会を「唯一の立法機関」と定めているが、これには、国会以外の機関による立法は認められない(国会中心立法の原則)という意味と、国会以外の機関が立法に関与することは認められない(国会単独立法の原則)という意味が含まれている。とすると、そもそも内閣が法律案を発議(提出)することは内閣が立法に関与することになるから憲法上認められないのではないか、という疑問が出てくる。こうしたところから、憲法学説では、内閣に法案提出権があるのかどうかが議論の対象になっている。議員の法案提出権については、議員は国会の構成員であるから当然認められるとして、議論の対象にはなっていない。もっとも、こんにちでは、内閣の法案提出権を認める説のほうが多数であり、法律(内閣法)も明文でこれを認めているから、内閣の法案提出権の有無がさほど深刻な問題として議論されているわけではない。しかし、議員の法案提出権は当然認められるが内閣の法案提出権は議論の余地あり、という憲法の原則からすれば、内閣にのみ法案提出権を認め議員立法は禁止するという民主党の方針は、奇異に映らざるをえない。<<

どうでしょうか、事態は浦部氏の指摘のとおりに動いていると思われませんか。

政府の政策決定に与党があれこれ「いちゃもん」をつけてくると政府の政策遂行に支障を及ぼすことにもなるから、一般行政にかかわる政策決定はもっぱら政府が行うこととする

こんな、いわば政策決定をしようとする側からの視点で、議員立法の制限が現にうちだされてきましたし、官房長官・平野氏のいう「与党は質問する必要ない」という言葉は、まさに浦部氏の見解を地でいくようなものです。

ですから、族議員の関与で法案が歪められたり法案の提出が遅れたりとか、成立する圧倒的多数が政府提案であるという現実は、うまく口実にされていて、いわば国会の中の現実、現状がダシに使われているような気さえ私にはします。あえていえば、民主党の思いがどんなところにあろうと、意思決定の一元化のはらむ危険性を指摘せざるし、強く危惧を抱かざるをえません。浦部氏によれば、繰り返しますが、法理論的にいえば「内閣に法案提出権があるのかどうか」が議論の対象になってきていて、議員の法案提出権については、議論の対象にはなっていないということですから。
ましてや浦部氏は、憲法41条は、国会を「唯一の立法機関」と定めているが、これには、国会以外の機関による立法は認められない(国会中心立法の原則)という意味と、国会以外の機関が立法に関与することは認められない(国会単独立法の原則)という意味が含まれているとして、この憲法の原則にてらして、民主党のとらんとする方向が主客転倒していると断じているのです。
この氏の主張にてらせば、小沢一郎が「政府と国会が対立するのではなく、政府・与党と、野党の意見が対立する」というときの、危うい立場がいよいよ明らかにされてくる。

しかも、小沢氏がどう考えているのかは横に置くとしても、別のエントリーで指摘したとおり、鳩山首相憲法試案で考えているのは、大統領的首相でした。彼は自らの試案でこうのべています。

国の行政権は、内閣総理大臣に属する(試案第96条)。

ですから、私は、「行政権は内閣に属する」(同65条)とのべている憲法と比較してみてほしいとのべたのです。さらに鳩山試案はこう規定しています。

内閣総理大臣は、行政権を行使するため内閣を組織し、その構成員たる国務大臣及び内閣総理大臣を補佐するために法律で定められた官吏を任免する権限を有する

どこからみてもこれは大統領的でしょう。小沢の「大統領制とは違うので正確にご理解を」と言う言葉が、いよいよウソっぽくみえてきませんか。
国民の負託にこたえ、国民のための審議をするのが国会だと考える立場に立ちたいと私などは考えますので、その立場に立つかぎり、小沢氏の主張には警戒せざるをえません。
政府・行政にたいする国会の監視機能を強化し、議員立法などの立法機能を強め、国権の最高機関としての機能を国会が発揮できるような方向こそ、国会改革の名にふさわしいものだと強く思います。
小沢一郎の主張には、ですから到底、賛成できません、私は。
(「世相を拾う」09222)