そもそも混合診療から排除される者がいるということ。。

「混合診療禁止は適法」原告患者側が逆転敗訴 東京高裁

健康保険が使える保険診療と保険外の自由診療を併せて受ける「混合診療」を原則禁じた国の政策が適法かどうかが争われた訴訟の控訴審判決が29日、東京高裁であった。大谷禎男裁判長は「混合診療の禁止に法的な根拠はない」とした一審・東京地裁判決を取り消し、混合診療の禁止を適法として原告患者側の請求を退ける国側逆転勝訴の判決を言い渡した。

 07年11月の一審判決は、混合診療を受けた場合に「一体化した医療行為」とみて保険が使えるはずの分も自己負担とする国の政策について、「健康保険法の誤った解釈だ」と判断。原告の患者には保険診療分は給付を受ける権利があると認め、国側敗訴の判決を言い渡した。国側はこれを不服として控訴していた。

訴えていたのは、神奈川県藤沢市の清郷伸人さん。がん治療のため、保険が適用されるインターフェロン療法に加え、適用外の診療を受診。全額負担を求められることから、国の政策は健康保険法に違反すると主張し、インターフェロン分は受給の権利があることの確認を求めていた。

 これに対し国側は、保険診療自由診療が行われる場合、全体を一体の医療行為とみて保険給付を検討すべきだ▽特定の高度先進医療など例外的に認められた混合診療以外に保険は給付されない――との健康保険法の解釈を示し、保険給付の対象外とするよう反論していた。

欠かせないと私が思うのは、そもそも混合診療とは無縁のひとびとが現にいるということです。
私は、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる状態を実現したいと思うものですから、その価値を置く者ならば、現にそこから排除された人びとをなくすことこそ、緊急かつ重要な課題ととらえるのです。
もちろん、自らの混合診療の実際において保険診療を部分的にも適用してほしいという要求は、この裁判の当事者にとっては率直なそれ、要求かもしれません。しかし、ひとたびその裁判の外に一歩でてみると、混合診療を受ける条件そのものから排除されりる「部分」が存在することに、少なくとも私は眼を奪われる。そこを解決しなければ、そもそも、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる状態は解決できないわけです。必要条件なわけですね。分かりやすくいえば、議論の出発点、混合診療から議論をはじめる限界性を私は感じるのです。


07年11月の東京地方裁判所における「混合診療禁止に法的根拠なし」とした判決以降、政府・財界が混合診療全面解禁の動きを強めていることを知っています。また、当時の首相の諮問機関である規制改革会議が「中間取りまとめ」の中で、厚労省に対して「混合診療禁止措置の撤廃に向けた施策を早急に講じるべきである」と求めているもまた、知っています。規制改革会議「中間取りまとめ」に反対しているこれまでの厚労省が、入院時医学管理加算の取得条件に、保険給付を前提としない「選定療養」を持ち込むなど、その拡大を進めて事実もまた明らかでしょう。

こうした事実を一方でおさえてかなくてはならないでしょう。その上での、この判決です。
元に戻ると、第一に考えたいのは、経済的条件のいかんにかかわらず、やはり、誰もがよい医療を、いつでも、どこでも受けることができる体制、状態をいかに構築するのか、そこに知恵を絞らないとならないでしょう。物事は、そこからはじまるのではないでしょうか。
そうでなければ、(議論の)最初から、議論の対象でない人びとの存在を是認しているということになるのですから。
それは、そもそもの一人ひとりの人権、人間が人間らしく生きる権利を認めるか否かにかかわる。
それを横に置いた議論の一つが、この裁判の性格規定ということになるのではないでしょうか。
(「世相を拾う」09205)

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