斎藤環と中島岳志と「小泉郵政選挙との相似性」


「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しました。
小泉郵政選挙との相似性− 中島岳志の言説から

昨日の「毎日新聞」には精神科医斎藤環氏が選挙結果について論じていました。
氏は、小泉郵政選挙の結果と対比しながら、今回の総選挙について評価を加えていました。
氏のいいたいことは、変化を求めるという一点に国民の意識があるということでしょう。そして、氏は、破壊と再構築というキーワードを自説のなかで採用しています。

一方、中島岳志氏(北大准教授)もまた、「毎日」紙上で今回選挙を分析しています(参照、またはここ)。
結論を先にいえば、中島氏の言説のほうが私の認識に近い。この両者とも、小泉選挙と今回選挙の相似性を論じているのは共通しています。が、その切り口の方向は異なります。
中島氏が、今日の問題の根源を選挙制度に置き、二大政党政治からの脱却も視野に入れて訴えているので、それだけに私には斎藤氏の議論がきわめて抽象的にみえてくる。この点の中島氏の指摘は、私は決定的だと思うのです。
ときどきの気分・勘定、たとえば小泉は当時、自民党政治をぶっ壊すといって世間をひきつけたのですが、その言葉に同調する志向を斎藤氏がいわば積極的に支持しているの比して、中島氏は、これにむしろ否定的な立場をとっています。

中島氏の懸念は、つぎの一文に表現されているでしょう。

新政権が発足すると、新しいものへの期待感が過剰に高まって高支持率となり、何かの拍子で世論の気分が変われば、支持率は急落してしまう。その理由も、麻生太郎首相の「漢字が読めない」をはじめ、大抵は政治とは別の問題だった。この空気が続いているのなら、今回も政権発足後3カ月くらいで、有権者の気分が変わるかもしれない。

何しろ、民主党政権は大きな爆弾を抱えて発足する。鳩山由紀夫代表の「故人」献金問題もある。マニフェスト政権公約)の項目相互の連関も足りないから、政策がぶれる可能性が高い。それらを理由に支持率が下がれば、党首交代などドタバタ劇が始まりかねない。

これでは、政権交代をしても今までと同じことの繰り返しだ。今回の選挙で敗北したのは、自民党ではなく、日本の民主主義そのものということになってしまう。有権者は、せめて半年や1年は我慢し、民主党の「お手並み拝見」をすべきだ。彼らの問題点を承知で308議席を与えたのだから、そのくらいの覚悟は必要なはずである。

当ブログでは、自民党政権が交代し民主党の政権にかわったからといって、そのことが自民党政治の終焉を意味するというものではないとのべてきました。ですから、問われるのは、これから(の民主党の態度)ということになるでしょう。氏がいうように「どんな国家をつくりたい」のかを民主党が明らかにしないまま、300を超える議席を獲得した事実が私たちの目の前にあるわけです。民主党がどんなかじとりをするのか、その限りで中島氏のいうような「お手並み拝見」という態度が求められるのかもしれません。

個人的には、10年くらいかけて選挙制度中選挙区制に戻すべきだと考える。小選挙区制や2大政党制は、社会の多様性に対応できないからだ。比例代表議席を減らして小選挙区の割合を上げるのはもちろん論外だ。社会が流動化し、業界団体などの集票力も弱まりつつある今は、中選挙区制のかつての弊害は薄まっているはずだ。

こう中島氏は指摘します。正論だと思います。
氏の論旨とは逆の立場から、経団連小選挙区推進の旗を現実にふってきたことを重ね合わせて考えてみてください。自民党とかわっても別段、差し障りのないような政治体制を構築できるところにこそ、二大政党政治を日本で定着させようとした勢力の思惑があるのですから。
だからこそ、そのような政治体制の下では氏ものべるように、「2大政党は限りなく似てゆく」のです。少なくとも今回総選挙までの光景は、私には2つの政党が次第に収斂していく、その可能性の大きさをみせつけているように思えます。

半年や1年で行方が私たち国民にほとんどみえてしまうかどうか、それは今は分かりませんが、私は、「お手並み拝見」という受動的な態度を超えて、民主党が国民に約束してきたことの実行を迫るだけでなく、自民党政治の踏襲はノーという意思を表明しつづけなければならないと、この2つの考察を読んであらためて思うのです。