財源で目算くるう民主党

民主党が4年間は消費税増税をやらないと公言してきたのは広く知られているようです。同党はマニフェストでこう国民に約束をしたのです。
一方で、マニフェストで「消費税を財源とする月7万円の最低保障年金の創設」をかかげています。これは、消費税の増税が際限のないものと想定させるに十分な表現だと私は思います。
民主党は政権を今後、担うわけですから、消費税増税に新しい政権がどんな態度をとるのかを問うと同時に、国民の声をとどけ、消費税増税を断行させない社会的運動が必要だと少なくとも私は考えるわけです。
社会保障の充実、これは国民が等しく考えるところでしょう。しかし、ことこの財源をどのように確保するのか、この論点は、どうも意見が割れるようです。この点で、私は、財源をどのように確保するのかで、これまでの自公政権が議論をはじめる際に、始めから、予め考慮の対象としないで横においていた部分が現実にあることを繰り返し指摘してきました。たとえば、社会保障をまかなうことを口実にするか否かは別にして、消費税の税率を高くし、高福祉・高負担をうたう国が国際的にみてないわけではありません。これと同様に、日本でもかじとりをせよという意見もあるでしょう。
しかし、今日の日本で、この議論をやるためには、先にふれた聖域を残したままではなりたたない。議論がゆがむのです。この点を問わずして、消費税増税を主張しても、一面的な主張のそしりは免れません。

民主党マニフェストに話を戻しますが、同党がマニフェストとは別に「政策集」なるものを作成したことをご存知の方があるかもしれません。マニフェストは国民向けに作られたものですから、そこには、消費税を財源とする『最低保障年金』を創設し、すべての人が7万円以上の年金を受け取れるようにする、「所得比例年金」を一定額以上受給できる人には「最低保障年金」を減額すると書いています。
ところが、「政策集」、これは議員・候補者向けということになるのでしょうが、ここには消費税増税に以下のように踏み込んで表現しています。このこと自体、政党のとるべき姿勢としてはアンフェアといわざるをえない。


消費税を決して財政赤字の穴埋めには使わないということを約束した上で、社会保障以外に充てないことを法律上も会計上も明確にします。

税率については、社会保障目的税化やその使途である基礎的社会保障制度の抜本的な改革が検討の前提となります。その上で、引き上げ幅や使途を明らかにして国民の審判を受け、具体化します。

これが「政策集」の表現です。
国民が目にするマニフェストには、(消費)税率引き上げについてはふれないでおいて、議員など一部の人しか目にしない「政策集」で引き上げを主張するとは、どう考えてもおかしなことでしょう。ちなみに、同党のマニフェスト自体、つぎのような変遷を遂げています。


  • 年金目的消費税の創設(税率3%?) →04年参院選・05年衆院選
  • 基礎年金は全額を税で賄うことにし、消費税の全税収をその財源に充てる  消費税率は据え置く →07年参院選

しかし、問題は、こうした主張の移り変わりということよりも、主張の前提になっている同党の認識そのものにあるように私には思えます。
それは、消費税があたかも社会保障に充てられるかのような主張で貫かれているということです。そもそも日本で消費税が導入される際の宣伝文句が福祉目的などというものでしたが、現実はどうでしょうか。さまざま指摘されているように、日本の財政状況をふりかえってみると、消費税導入あるいは増税は、法人税や資産家・高額所得者への減税によって、ほとんで消えてしまったというものでしょう。民主党が今いっているのは、「社会保障以外には使わない」という水準のものですから、これまでの主張とまったく同様のもので、税率の引き上げを国民が納得しやすいような言い回しで表現しているにすぎないといわれても仕方がありません。
そもそもこうした主張は、財界・大企業のものといっても過言ではありません。彼らは、早くから「直接税と間接税の比率を5分5分にせよ」などといって、自らの減税を要求してきたのでした。ときには(消費税を)福祉目的税などと主張しながら。また、私たちは御手洗ビジョンで「社会保障の経費が、国の財政難の最大の要因」といいきって、社会保障費の削減と消費税増税を抱き合わせにしてきた事実をしっています。

つまり、税のとり方は、それぞれの階層の思惑が端的に集中するところであって、税のとり方を支払い能力のある人からとるのか、あるいはそれとは別に広く、浅く、たとえば誰もがかかわる消費という行為に課税する消費税に頼るのか、これが今日の争点となってきたのです。しかも、その際、聖域が必ず設けられ、議論の前提としてこの聖域には手を付けないという暗黙の了解があったといえましょう。つまり、裏を返せば、聖域を聖域として認め、それを除外して組み立てるのは、自民党も、民主党もかわりはないということです。

政権が交代します。交代による新たな問題の発生が伝えられています。
たとえば、私は、朝日が4日に伝えた記事に着目します。
この記事は今回の選挙戦の前に、自民党麻生政権が補正予算を組んだことにかかわる問題です。
15兆円にのべる経済危機対策のなかには09年補正予算基金の問題がありました。地方自治体に30の基金を創設し、それまでにあった基金は増額するというものでしたが、不況の長期化を理由に、事業継続を政府は訴えたものの、それ自体にばらまきの批判が集中しました。

したがって、民主党はこれをとらえて、ばらまきを中止し、自らが主張してきた政策を実行するための財源にこれを充てる計画だったようです。が、すでに基金の半分以上が実施済みであって、民主党の思惑がくるっていることを記事はのべています。
ばらまきとはいってもその中には、単純な判断は避けるべきでしょうが、たとえば、「介護職員処遇改善等臨時特例基金」など、働く者の処遇改善の方向に寄与するものも散見されるわけで、朝日記事によれば、同基金の執行率は6割近くにのぼっている。したがって、民主党が当て込んだ財源は日に日に少なくなっている、というのが、記事の主旨でしょう。

この事態で考える次の問題は、民主党(政権)が財源をどこに求めるかということです。
私なら、ただちに、新しい政権にまず議論の聖域を求めるなと迫ります。ようするに、(税を)取れるところからとれていない事実はないのか、これを点検し直すということです。現実にこれまで聖域が設けられてきたのですから、これはあらためれば、少なくない効果があるはず。これに着手できるかどうかを新しい民主党政権に迫らなければならないと私は思います。
そうでなければ、すなわち聖域をあらためられないということは、財界の意向を容認するということでしょうし、それは消費税増税を意味している、こう言い切ってよいと私は思います。
(「世相を拾う」09179)