税金のぶんどりに寄せるメディアの関心。。


「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しました。
政党交付金− 税金のぶんどりが面白いのだろうか。。

政党交付金見込み額 民主54億円増、自民52億円減

国が各党に配分する政党交付金について、総選挙の結果を受けた10年分の見込み額を朝日新聞社が試算した。選挙前から193議席増えた民主党は、09年分の当初予定額より54億円余り多い173億200万円。逆に181議席減った自民党は52億円余り少ない104億6700万円となる。議席とともに交付金の額でも初めて両党が逆転した。
政党交付金は国民1人あたり250円として税金から支出され、09年分の総額は319億4100万円。各政党の国会議員数や国政選挙での得票率を元に毎年4月に計算され、年4回に分けて支給される。今年9〜12月分も新勢力を元にした額が配分される。
10議席減った公明党は09年分の予定額より3億2100万円少ない24億300万円。社民党議席は変わっていないが、得票率が減ったため3100万円少ない8億6900万円となる。
先月発足したみんなの党は3億4千万円の純増。1議席減った改革クラブは交付要件を満たさず、ゼロになる見通し。交付金を受け取らない共産党は試算から除いた。

政党助成法という法律によって、交付金を各政党に支払うことになっているので、こんな記事もできあがるのでしょうが、そもそもの国民の税金が右から左に渡ること自体の意味を考えてしまいます。しかも、国民それぞれが支持する政党ではなく、決まった議席数に応じて配分されるというのですから。国民有権者の個々の意思が反映されているようで、そうではないでしょう。つまり、募金をするに足る支持政党をもっている人でも、現実の投票行動では、その支持政党に入れることが物理的にできない場合、やむなく支持政党に入れてしまう場合などが当然、想定されます。とくに小選挙区制の下では。つまり、有権者の(税金を支払う)意思とは離れて機械的に各政党に配分されるわけですから、思想・信条を形式的に無視していることになる。私なんかは自分の税金が支持政党以外に渡ること自体、拒否したいのです。こうした思いは当然、横におかれているわけですね。

しかも、その上、政党助成法がつくられた過程を考えざるをえません。
当時、リクルート事件やゼネコン汚職事件などが相次ぎ、企業などから政治家への資金提供が問題とされました。その結果、企業・労働組合・団体などから政党・政治団体への政治献金を制限するかのようにいって、というのはそれ以後も企業からの政治献金はいっこうに制限されないままだからですが、それを口実に、政党に資金を与えるために国庫から支出するということで同法が成立をした。
現状はどうでしょうか。いっこうに企業献金はなくなりません。西松違法献金しかり。抜け道を政治資金規正法の改定を続けてきたといくらいっても抜け道が温存されているわけですから、なくなるはずがありません。結局、企業献金ももらい、その上に国民の税金をぶんどっているのが現実ではないでしょうか。
しかも、上にのべたように有権者一人ひとりの思想・信条にも反するようなしくみというわけですから、そもそも政党交付金を既定のものとして理解してよいのか否か、ジャーナリズムならばいちど根本から問うてもよいように私には思えます。

その点で、この記事は、私からみると安易な視点から事実を伝えたにすぎない。カネのぶんどりを「面白く」表現しただけのものです。
ぶんどりの意味をジャーナリズムは考えてよいのでは。国民に訴えるべき論点はいくつもあるのですから。よほどぶんどりの結果に興味があるのでしょうかね。
(「世相を拾う」09176)