さよなら自民党。。


「花・髪切と思考の浮游空間」に以下の記事を公開しました。
自民党よ、さようなら。そして・・・


きょうの朝日新聞5面は、1ページ全面広告。
自民党の宣伝ページです。まず、日本を壊すな、という文字が目に否応無しに飛び込んできます。この字をみながら、そして失笑するのです。
そもそも、今の日本は壊れているのか、いないのか。以下に自民党自身があげるような観点でみまわすならば、確実に日本は壊れているのではないでしょうか。そうすると、壊した責任を自民党に問わねばなりません。
国民の強い批判が自民党に向かうのも、まさに一人ひとりの国民が実感するほどの日本社会の亀裂に直面しているからにほかなりません。日本は壊れているのです。だから、今の自民党にはもうまかせられない、こんな方向に論理が展開するのです。
いずれにせよ、この宣伝ページとその内容そのものが、自民党の窮地に立たされている姿と断末魔的なふるまいを示すものです。

自民党はこういっています(各文冒頭についたドットは管理人がつけています)。

  • あなたのために。この国のために。
  • 景気を後退させ、日本経済を壊してはいけない。
  • バラマキ政策で、子供たちにツケを残してはいけない。
  • 偏った教育の日教組に、子供たちの将来を任せてはいけない。
  • 特的の労働組合の思想に従う“偏った政策”を許してはいけない。
  • 信念なき安保政策で、国民の生命を危機にさらしてはいけない。

この文面は、自民党の思惑とはまったく正反対に、自民党自身にあてはめなければなりません。

景気を後退させ、日本経済を壊したのは、いったい誰か。
バラマキ政策で、子供たちにツケを残してきたのはいったい誰か。
安保政策で、国民の生命を危機にさらしているのはいったい誰か。

すべて自民党といってよいでしょう。

あとの2つの文章は、かつては日本共産党にむけられた、旧態依然たる反共攻撃のようなもので、民主党の支持母体に日教組がいることが背景にあるのでしょうが。こうした反労働組合のスローガンで民主党に入れようと思う保守支持層を切り離そうという魂胆でしょう。

自民党民主党による政権交代を阻止しようとするのは、異なる2つの政党ですから、当たり前といえば当たり前のこと。
しかし、国民に問われているのは、これまでの自民党のやってきた政治がこのまま継続するか否かという問題をめぐって、吟味しないといけないということでしょう。
残り数時間で、今回総選挙の投票という国民の行動も終了します。大方の予想は政権交代は確実に起こるというものでした。
そうすると、問われるのは、この政権交代で、自民党のやってきた政治がこのまま継続するか否かということです。これは国民が横から傍観しているだけでは変わらないだろうし、不可能だと私には思えます。継続させたくないというのなら、国民がそれぞれの条件の下に今まで以上に政治に主体的にかかわることが求められているのではないでしょうか。

その上で、思うのは、開票が終了しないと結果が分かりませんが、仮に民主党が絶対多数を握る事態になると、その表現のしかたは別にして、自民党政治の継続は路線として踏襲されることになる可能性の問題です。
つまり、新しくできるだろう民主党政権は、自民党政治の継承を誕生前から担わされている政権だということです。
具体的にいえば、数日前のエントリーで強調したように、改憲の条件をつくる上で民主党政権は大きな役割を担う。そして、4年間はやらないとはいっているものの、消費税増税の条件がつくられることになる。こう想定できるのではないでしょうか。
大企業の前ではほとんどモノがいえない民主党は、こうした役割を大企業から担わされていると表しうる、性格づけることができると私は思います。

したがって、今回の総選挙では、自民党自身が上にあるように列記した事実をもたらした張本人として、責任をとって政権の座から降りてもらい、私たち国民は、さようならと言葉をかけなければなりません。が、それだけではすみません。つぎにすすまなければならない。
しかし、確実なことは、おそらく総選挙の結果がどのような議席配置になろうと、自民党がこの宣伝ページでいうような意味で、この国の将来を決めるのは国民自身だということです。
ですから、現実には段階論というのもありでしょう。自民党から民主党へ政権が交代する。現象面ではこんな変化があるわけですが、この交代は、政治の変化を同時に意味しているわけではありません。
交代後、この日本国の政治をどんな形にするのか、それをもう描かなければならない。
総選挙後の時期は、この意味で、この日本国にかつてなかった、特殊な、あるいは激動をももたらしうる刺激的な画期をなす可能性をはらんでいると私は思います。

もちろん私は、文字どおりの自民党政治の終焉を完了させる方向をこの時期に望んでやまないのですが。
つけ加えるならば、自民党よ、さようならでおしまいではありません。自民党政治よ、さようならを実現しなければ、国民本位のという形容詞のつく政治は訪れないのです。
(「世相を拾う」09172)