自民党を右寄りに乗り越える? 民主党


花・髪切と思考の浮游空間に以下の記事を公開しました。


都議選終了時点から総選挙が終わるまで、自民党はもちろん、民主党にとっても、極端なことをいってしまえば後世の語りぐさになるような、重要な意味をもつ時期になる気配をみせています。
自民党にとっては、どのような形で転落していくのかという意味で。むろんそうならない可能性がまったくないではありません。民主党はどうか。国民・有権者にとって「歴史的な転換」をとげるのでしょうか。それとも、国民・有権者にとってマイナスの転換をしてしまうのか。興味深いところです。いうまでもなく、選挙後の変化がないことをこれは意味しないし、その変化が重要でないことを指摘しているわけではありません。
自民党の転落の可能性は、首相の姿勢に典型的なように、個人的思惑をふくめて支配者、権力の座にとどまろうとする醜いまでの執念のようなものを感じる一方で、その座から結局はひきずりおろそうとする勢力の動きまで、すべての動向が示唆しているように思えてくるのです。醜い争いを、こと今日に及んでみせつけられる日本国民は最大の不幸を背負っているのかもしれません。しかし、所詮はこんな自民党を今日まで、ほとんど戦後一貫して権力の座につかしめたのも国民という理屈が一方では成り立つのでしょう。とはいえ、自民党の政治がどこからみてもいきづまり、有権者の関心から現に離れてしまっているのは、誰の目にも明らかです。

こうした有権者の、自民党への決別の度合いが強まれば強まるほど、政権を誰にまかせるのか、いきおいそこに関心が集中する。したがって、今日の(国会の)議席配置と、二大政党政治キャンペーンが繰り返されるたびに、民主党の動向が強調されてきたわけです。同党自身、いってきたのは政権交代だけといってもよい。政権交代すれば、多くの矛盾や問題が解決するかのような同党議員たちの語り口。党内の結束は、ただ政権交代という一点で保持されてきたといっても過言ではないでしょう。ですから、政策的に党内で一致しえないような問題については、これまで先送りされ、交代後に統一した見解を出すという具合に語られてきたわけです。
別の言い方をすると、先の都議選は、有権者の少なくない部分は民主党が政策的にまとまらない事情をもっていることをすでに知りながらも、それ以上のこれまでの自民党政治の弊害とそれをすすめた自民党そのものにたいする反発がまさったということでしょうか。都議選はそうした有権者の意識が民主党側により強調された結果だと思えるのです。

都議選終了時点から総選挙が終わるまでを重要な意味をもつ時期と私がいうのは、こうした政治的バランスに変化が生まれる可能性をこの時期がはらんでいると考えるからです。ここ2、3日のエントリーで、すでに関連した事象についてふれてはいます。

繰り返すと、民主党が矛盾のなかに置かれるということです。
形の上だとはいえ、これまで、民主党自民党と対決する姿勢を少なくとも有権者にはみせる必要があった。この点で、私たちがすぐに思い出せるのは、一昨年の参院選での同党の選挙戦術です。小沢一郎は、生活重視を全国に説いてまわり議席増にそれを結びつけました。しかし、その後、小沢はどうしたでしょうか。同党本来の主張と、左寄りに進化させた参院選時の主張のずれを修正せざるをえません。その結果、それを解決しようとして、とった一策が、件の大連合密室協議でした。
同じような矛盾に今、民主党はとらわれている。都議選で勝利し、さらに総選挙で勝利し、彼らの主張してきた政権の座につく上でクリアしなければならないハードルがある。たとえば、それは財界・大企業の支持のとりつけであり、米国の支持のとりつけにほかなりません。
そこで、こんな(表面上の)変化が報じられる。

核搭載艦、寄港・通過の容認を示唆 民主・鳩山氏

私は、鳩山由紀夫氏がもともと非核三原則を断固遵守する、させようという立場に立っていたとは考えません。したがって、氏の本来の考えがこの際、表出していると考えるのですが、一般には自民党政治を根本から転換しようと考えない以上、いかに自民党政治からのソフトランディングができるのか、これを第一義的に追求するでしょう。それは、これまでの自民党政治を支え、ともに歩んできた財界・大企業、米国との関係を維持するということが前提です。
鳩山氏の発言は、結果的に米国の利益を最優先させるもので、まさに米国にとっては願ったりかなったりにちがいありません。なにしろ非核三原則は公式にこれを否定することは歴代自民党政府もできなかったのですから。

当ブログでは、たとえば派兵恒久法に関しては民主党自民党以上に右寄りの立場をとってきたことを批判してきましたが、この報道が伝える鳩山発言は、自民党政権ではけっして語ることのできなかったことです。こうして民主党は、自民党のやれなかったことを右寄りから乗り越えていくというわけです。

元に戻ると、そうあってはならないわけですが、都議選終了時点から総選挙が終わるまでの時期の重要な変化は、国民・有権者にとってプラスというより、マイナスの転換を意味する可能性が高いと私は考えます。
とにかく自民党はだめだというところから少しすすんで、ではどんな政治が可能なのか、各党に明確にさせる必要がある。その意味では、総選挙までの時期は、どんな政治をやるのか、とくに民主党にとっては問われるし、いやがおうでもはっきり語らざるをえないという意味で転換を迫るものとなるのではないでしょうか。
そうでなければ、フリーハンドのまま将来を託すということになるのですから。
(「世相を拾う」09127)