小沢一郎氏− 派遣切りも政権交代に回収するのか


他の言葉で置き換えるならば、やはり使い捨てとしかいいようのない派遣切り。新しい年が一歩一歩近づくにつれて、たとえ一人の解雇であっても、その社会的意味の大きさを私は取り上げざるをえません。この日本国では、それが数百、数千の規模でまるでなだれを打ったかのように、大企業が右へならえで派遣切りを断行するのですから。
問われるべきは、6千人の解雇を予定するトヨタや日産、ホンダなど自動車関連産業であり、期間途中で契約打ち切りという違法な手段にうって出たいすゞであり、派遣社員の処遇にまで介入したマツダの違法であって、なんら派遣社員に責任はありません。社会的存在であるべき大企業の違法、横暴ぶりは今、強い非難の対象になってしかるべきです。

経団連の、この点でのイニシアの発揮を私は今日までひそかに期待していたのですが、会長・御手洗氏にそんな殊勝なことを望むのがまずまちがっていたようです。もっとも、私たちは、かつてこのようなことを経験してきました。

日産自動車のCEOに件のカルロス・ゴーン氏が就任し、「日産リバイバルプラン」を発表したときのことです(1999年)。プランの本質は、大リストラ計画でした。3つの組立工場と2つの主要部品工場を閉鎖し、グループ14万8000人の労働者のうち2万1000人を削減するというのですから、大リストラ計画にちがいはない。3年間で1兆円のコスト削減を見込むというドラスティックなものでした。
問題はこのときの財界の反応です。これだけの計画ですから、当該労働者はもちろんのこと、関連企業や工場のある地域の経済に多大な影響を及ぼすだろうことは誰もが想定できることで、当時の関西経済連合会の会長はつぎのようにのべて印象的でした。

隣の家を取り壊してでも、自分の家の火を消すというやり方は受け入れられない

と。
当時の日経連会長も(ゴーン氏の計画に)否定的な発言をしたのです。私は何の抵抗もなく関経連会長のこの言葉を理解するのですが、少なくとも当時の財界トップの認識は、このようなものでした。

しかし、10年足らずの時を経て、財界トップの認識もまた変化をとげたのでしょうか。この10年の間にかわったことといえば、新自由主義的施策の深まりでしょう。その先頭に小泉がたってきたのです。分かりやすくいえば、財界・大企業と米国のために。

新自由主義の旗をふる財界には、雇用の不安定が深刻になるなかで、では労働者の働く条件をいかに確保するのか、その手立てをどうとろうとしているのか、それが問われなくてならないでしょう。
ところが、伝えられるところによれば、経団連春闘方針では、あらためて賃金抑制が強調されています。内需をいかに浮揚させるのか、そこに日本の景気後退を打開する、遠いようで近道があると私などは思うのですが、大企業はそうではないようです。経団連の示す方針は、いよいよ労働者に犠牲を押し付けるものと断言してもよいものです。

そうであれば、なおさら今の解雇宣告に一つひとつ救済の道を求め、企業に社会的責任を果たすよう、世論を形づくることが不可欠なように私には思えます。
こんなニュースが伝えられています。

小沢代表「スペイン坂デビュー」 FMで雇用問題語る


スペイン坂デビュー自体をとやかくいうつもりはありません。
取り上げたいのは小沢一郎氏の発言です。 

正規雇用をまったく禁止するわけにはいかないが、待遇面ではきちっとやるべきだ。政権を取ったら法的な規制をしていく

注目するのは、この後段。「政権を取ったら」、これを私は見過ごすことはできない。
ただ単に小沢氏の無神経と断ずるわけにはいかない。
一人であってもそうですが、これだけの規模で、しかも同じ大企業という立場にある企業が、同じやり方で労働者に犠牲を転嫁し、利益確保は追求しようとする日本の大企業の姿勢を問わないといけないでしょう。
その点で、小沢一郎氏の発言もまた問われないといけない。

国会でいうまでもなく無視できない影響力をもつ民主党派遣労働者の立場にたって、モノをいえばどれだけの仕事ができるのか。たとえば民主党と比較すると少数政党といわざるをえない共産党・志位氏が企業と直接、面談し、緒についたばかりとはいえ、実際に大企業を動かしつつある事実と見比べるとき、国民の、いいかえると派遣労働者の期待にいかほど民主党はこたえられているのでしょうか。民主党の現在の力をもってすれば、どれほど大きな仕事がやれるのか、そこに期待すればなおのこと、民主党の今を思わざるをえない。
すべてを政権交代にという小沢氏の主張は、(今は)何もやらないという宣言に等しい。こんなレトリックになっている。今は、今日、明日、首を切られる労働者を確実に救えるような実効ある措置を取らせるところに最大の課題がある。だから、そんな政党が、では仮に政権交代して、この仕事を確実にやれるという確信だけを我われに求めようとしても、それはできない相談でしょう。

これだけの自民党の「窮地」にあればこそ、民主党が野党の身分であっても大きな仕事をやった、そんな確信を我われに与えてくれてこそ、自民党とはちがうことを有権者は実感するのでは。
小沢氏の態度は、全てを政権交代に回収するもので、逆に民主党への期待を裏切るものではないでしょうか。
すべてを政権交代に収斂させていく態度は強く批判されてしかるべき、私はこう思います。
(「世相を拾う」08265)