大澤真幸「逆説の民主主義」



61回目の憲法記念日をめぐる新聞メディアの反応は、参院選後の状況も加わって、憲法の存在意義を説いていた。
が、以下のような切れ味のある見解を記したものはさすがになかった。

憲法を活きたものにするためには、われわれには、その前にやらなくてはならないことがある。この憲法には、ほとんどの人が半ば気づいている明白な弱点があるからである。弱点とは、日本国憲法の精神と日本の安全保障政策の基本的な方針との間の矛盾である。日本の安全保障政策の中核は、言うまでも泣く、日米安全保障条約にある。憲法日米安保とは、相補的であると同時に、拮抗的な関係にあるのだ。

大澤真幸は、このように「逆説の民主主義――格闘する思想」(22ページ)でのべている。
安保条約と日本国憲法の関係をこうとらえる大澤は、本書のなかで憲法についていくつか提案している。
さらに大澤は、憲法だけにとどまるのではなく、グローバル化という社会変動が今日われわれにもたらした極端な貧困や暴力、犯罪という困難の克服を問題意識として、その解決法を提示する。
その際の処方箋の立脚点を大澤がどこに置いているのかはつぎの文脈で明確となる。

真に求められているのは何か。個別の要求ではなく、普遍的な要求、社会の普遍的な構想を含んだオールタナティヴ(選択肢)ではないか。行政的な選択ではなく、(社会体制の全体としての改変に関わるという意味での)真に政治的な選択ではないか。

以下は、本書の構成なのだが、いずれも刺激的なテーマとして押し出されている。

  • 第一章 北朝鮮民主化する――日本国憲法への提案?
  • 第二章 自衛隊を解体する――日本国憲法への提案?
  • 第三章 デモクラシーの嘘を暴く――まやかしの「美点」
  • 第四章 「正義」を立て直す――「みんなのルール」のつくり方
  • 第五章 歴史問題を解決する――隣国とのつきあい方
  • 第六章 未来社会を構想する――裏切りを孕んだ愛が希望をつくる


一つだけ紹介すれば、北朝鮮民主化するためにわれわれは何をすべきか。この問いにたいする大澤の回答はこうである。

日本は、外交上の努力によって、北朝鮮の国境を可能な限り開放的なものにするのだ。

たとえば、日本自身が北朝鮮からの難民を、いくらでも受け入れる用意があることを宣言する。そうすれば、大量の亡命が可能であるという事実そのものがつくられるわけで、北朝鮮国内での、自立的な民主化運動を駆動するというものだ。この着想は、大澤のこれまでの著書ですでに言及されていたことだが、以後の北朝鮮を取り巻く環境の変化を考えると、あらためて東欧諸国の一連の民主化の経過を引き合いにだすまでもなく、より現実味を帯びる提案になってきたように私は思う。

著者・大澤の言葉を借りると、一般には、民主主義とは、多様な利害のある種の集計であり、それらの間の「平均」や「妥協点」を見出す意思決定の方法であると考えられている。つまり、そうした「平均」や「妥協点」を、全成員の意思の普遍化された代表と見なす方法が民主主義である。

これに対して、本書のタイトルである逆説の民主主義はどのように措定されるか。

制度化された社会秩序の中で位置づけをもたず、公認の誰の意思をも直接には代表しない、排除された他者を、普遍的な解放性を有する社会の全体性と妥協なく同一視してしまうこと

ということになる。だから、これは、すべての意思の平均的な集計という、通常の意味での民主主義を否定するものといえる。別の言葉でいえば、逆説の民主主義は、排除された特異点特異点としない、無にするということである。
われわれの中に浸透している受け入れがたい他者がいることが、開放的で逆説的な民主主義の展望を開くというわけだ。
上にのべた大澤が提示する「北朝鮮民主化する」方法は、まさにこの具体的な表現の一つにほかならない。


花・髪切と思考の浮游空間の文章を一部あらためた。