自己責任、自助努力という呪縛。


貧困に直面すると、受診を控えようという意識が働く。「受診抑制」を自ら選ぶのである。正しくは、それを選択させられるということだ。
この点について言及した(id:coleo:20080312:1205318473)。

エントリーでは、国民健康保険を滞納した者がどのような受診行動をとるのか、それを調査データにもとづいて紹介した。
調査によれば、保険証の代わりに資格証明書を交付された人が受診する頻度は、一般の人の2%未満と極めて低い。
データはある意味で冷酷である。一般の2%に満たないというわけだから、ちがいは歴然としている。
データの裏側にあるのは、滞納しているという「後ろめたさ」、精神的抑圧と、深刻なほどの自己責任の意識だろう。
「身から出た錆」という感覚や人に頼ってはいけないという意識が寸分でもあれば、何とかして今から逃れでてみようという意思が働くわけである。
こんな状態を、湯浅誠は、「自助努力の過剰」とよんでいる。
過剰なまでの自己責任論の受容がそこにあるということになる。

しかし、こうした自己責任論の蔓延は、たとえば国保料滞納という現象に特有のものではもちろんない。


こんな記事がある。

 妊娠中の定期的な健診である妊婦健診を受けないまま、出産のため医療機関を突然訪れる未受診妊婦飛び込み出産が全国で増加傾向にある。

 未受診妊婦の存在は、昨年8月に奈良県の妊婦が救急搬送中に死産した問題でクローズアップされた。その後、全国各地で妊婦の救急搬送の受け入れ不能が明らかになった。背景には、未受診妊婦側が救急搬送を依頼しても、母体や胎児の状態がわからないとして、病院側が受け入れを敬遠する構図がある。

 読売新聞が今年1月、高度な産科医療機能を持つ全国の医療機関を対象に行った調査では、67施設から回答があり、昨年1年間に301人の未受診妊婦飛び込み出産があった。「以前よりも未受診妊婦が増えた」とする医療機関は、回答した67か所中、20か所あった。

 妊婦が未受診のまま飛び込み出産に至る要因は、貧困と情報・知識の不足にある。

 読売新聞の調査では、妊婦が未受診になった理由は「経済困窮」が最も多く、146人いた。また107人が未婚者だった。
  
飛び込み出産の増加 貧困と知識不足 健診の公費負担拡充を

つまり、飛び込み出産も、まさに湯浅のいう「自助努力の過剰」の表れである。もちろん記事が指摘するように、情報や知識の不足はある。
だが、貧困は、今の時代も一昔と少しも変わらず、頼ってはいけない、強い人間になれ、というもう一人の自分をあらゆる場面に登場させる。そして思い込むのである。
もう一人の自分に駆り立てられ、それに従おうと必死になる。けれど、もとより、人に頼らずに、強い人間になれるような条件になかったから、今の自分があるわけだから、そんな思いも費えてしまう。
飛び込み出産は、たとえばその結果である。


しかし。
こうした事例を見聞きするたびに、自己管理能力の欠如、自助努力のなさ、さらにはだらしい、あるいは弱い人間などという言葉を選び取って、彼らに投げつけてきたのではないか。

そんな言葉を選択し、投げつけなければならないという観念から、私たちは自身を解放しなければならない。
そして、貧困にある者もまた、自立しよう、しようという強迫観念から解放されなければならない。

日本ではこの間、自己責任論が跋扈した。けれど、これを解き放って、そうしてこそ、はじめて医療、福祉というものをこの手に手繰り寄せることができるといえそうである。