八代センセーのたまう。


八代尚宏がまるで、格差が「正社員」と「非正社員」の「対立」によって生じたかのように語っている。この両者の「対立」が主要因だと言い切っている。

格差問題の本質は、年功賃金の「正社員」と、市場賃金の「非正社員」とのあいだの昔からある「身分差」が、長期経済停滞のしたで顕在化したことにある、と考える。つまり、企業と労働者の“労使対立”だけでなくて、正社員と非正社員の“労労対立”こそが、大きな格差を生んでいる。
振り返ってみれば、終身雇用制、年功序列賃金などに象徴される「日本的慣雇用慣行」は、かつてのような高い経済成長率を前提にして、よく機能した雇用システムである。
現在のような高齢化・低成長時代に、日本的雇用慣行に過度にとらわれると、正社員の年功序列や雇用を守るために、新卒の若年者や非正社員が“調整弁”になってしまう、そこに雇用調整の負担が集中する*1

正規と非正規とを切り分けて、総人件費を抑制してきたのは誰だったのか。他人事のようにいう。
八代自身、どこに身を置いてきたのか。たしかにICUにいるが、本籍・大企業の学者さま。
この両者の「対立」を逆手にとって、八代は、今後の処方箋を提起する。

企業の雇用保障にもっぱら依存するのではなく、働き手個人の多様な働き方を認める「雇用ルール」が必要になるだろう。その基本精神は、正社員と非正社員の違いを問わず、働く内容に応じた均衡処理を目指すことだ。

その上で、同一労働、同一賃金を主張する。
もちろん労働者側の原則である同一労働、同一賃金とは似て非なるもの。
八代の魂胆は、正社員の待遇を引き下げことにこそある。いっそうの非正規化ともいえないか。
そして、その際、八代が要求するのは、均衡処遇という以上、つまるところ正社員の解雇法制なのである。

多様な働き方というが、そんなものを労働者が自分で決められたためしはなかった。
多様な働かせ方を企業が望み、実際に、労働者は多様化させられてきたにすぎない。
労働者には選択肢はなかったのだ。

ルールをいうのなら、依拠すべきはまずフィラデルフィア宣言ではないか。
ILOは、そこで「労働は、商品ではない」という原則を掲げた。
雇用では直接・常用という完全雇用でなければならないとする。
解雇と期間の定めのある有期契約を規制、労働時間制を基礎とし、パート労働者とフルタイム労働者との均等待遇を求める。
賃金は、同一労働同一賃金、最低生活保障を原則とし、貧困と格差の解消を求めている。


だから、宣言の立場は八代と対極にあるといってよいし、彼の言説は、日本の労働者をめぐる環境が当たり前の基準からいかにかけ離れているかを端的に示す例になる。

*1:週刊ダイヤモンド』(08年3月8日号)