岡田斗司夫『いつまでもデブと思うなよ』


生まれてこのかた肥満とは無縁だったので、太った人をみてはどうしてあんなに太るのだろうと正直思ってきた。それ以上でも以下でもなくそう思っていた。いろんな要素はあるにしても、『いつまでもデブと思うなよ (新潮新書)』の著者によれば、つまるところ肥満は欲望が支配してしまうのである。欲望の赴くままに食べる結果ということだ。
人間のからだは、食物をとおしてカロリーを摂取し、労働や運動をすることによってカロリーを消費し、維持されている。平たくいってしまえば、(カロリーの)摂取量>消費量の場合、その差が脂肪となって蓄積され肥満するということだ。だから、肥満をあらためるべく減量しようと、あるいは肥満にならないようにしようと思えば、摂取量と消費量の差を少なくとも縮めなければならない。要は、摂取量を減らすか、消費量を増やすか、の2つの方向が考えられる。でも、消費量を増やすといっても、所詮、一日の、あるいは1週間、1カ月のうち融通の利く範囲は通常限られているのだから、これはなかなかたいへんだろう。なかには運動で減量に成功した人もいるにはいるだろうが。

岡田氏が勧めるのは、したがって、摂取量を減らす方法である。
といっても、権威づけられた特別の手法によるわけではない。自らレコーディング・ダイエットと名づける方法を推奨している。命名から容易に分かるように、ひたすら食べた物、食べた時刻、カロリーなどのデータを記録するのだ。メモをとるというわけだ。
この行為のなかに実は秘密がある。先に欲望の赴くままに、とのべたが、これをあらためるのである。つまり、自分の食生活を可視化するのだ。肥満は、食べたいという欲望の赴くままに食べることによってつくられる。ならば、記録を重ね、肥満のもとになる自分の食の習慣をつまびらかにする。記録によってそこが明らかになるにつれて、食べたいという欲望も萎えてくるらしい。自らの実践をとおして氏はそうのべている。食べたいと思わなければ、もちろん摂取するカロリーは減るし、ダイエットできるというわけだ。実に理に適っているではないか。だいいちシンプルだし、ダイエットのための器具ももちろん要らない。

寄る年波に勝てず−この物言いもすでにまちがいだけれど−最近、お腹の周りの肉が気になりだした。メタボ*1予備軍、いや正規軍かもしれないという、他に置き換えがたい不安に苛まれてこの本を手にした。
少なくともこれまでは自分には無縁だと考えてきたくらいだから、減量に成功する喜びなんてむろん経験したことはない。
これを手中にしようと、氏にならってせっせとメモをとる毎日が続く。

*1:2008年4月から、健診制度は、メタボリック症候群と糖尿病に特化し、アウトソーシング化されるなど、大幅に改変される。特定健診・特定保健指導制度というものだ。けれど、働く者からすれば、メタボリック症候群より、長時間労働など不適切な環境をなくす方が先のような気もする。不安定雇用や失業も心身の疾患に強く結びつくし、長時間労働の人ほど糖尿病や心疾患になりやすいことを示すデータさえあるようだ。社会全体をながめると、こういう「撹乱因子」をなくす必要があると思う