加藤周一という思想


だれでも、こだわりつづけ、ずっと長い間よみ続けている作家や思想家がいるのではないか。加藤周一は、私にとってはそんな一人。だから、とりあげないわけにはいかない。よみ続けてすでに数十年、自伝的な『羊の歌』から『日本文学史叙説』まで。目を開かれる連続だった。まさに思想としての加藤であったわけだ。
何よりも思考の明晰さ。その上に―和漢洋に通じ該博な石川淳を加藤はよく引き合いにだすが―、かくいう加藤本人の該博ぶりにも私は驚かざるをえない。加藤は最近、九条の会を舞台に実践的に社会運動にかかわっている。
こんな加藤自身をふりかえる書、これが『20世紀の自画像 (ちくま新書)』だろう。1919年生まれの加藤は、15年戦争にむかう戦前と戦中、敗戦をへて戦後の日本を、日本で、そして日本の外からみてきたといえる。その加藤の視点でかかれてきたのが、たとえば朝日新聞の時評『夕陽妄語』であり、これをよんだ人はすくなくないだろう。
この本では、さまざまなテーマをとりあげているが、日本のナショナリズムに関する言説を紹介する。加藤はこのようにいう。

ナショナリズムという以上、国の独立が大事でしょう。独立の内容は何かというと、今言ったようにフランスでは言語や文化。アメリカでは民主主義に最近では軍事力が加わった。日本では今まで国家神道と軍事力でしたが、それが戦後失われて、ナショナリズムに根拠がない。どうして日本で右翼的なナショナリズムが力を得ずにきたのか。ナショナリズムの感情はアメリカ追随に反発する。しかし軍事力の増強を求めているので、親米的であればあるほど軍事力増強になる。親米ではナショナリズムではないでしょう

これは小熊英二のいう「おかしいナショナリズム」を別の言葉でおきかえたといってよい。日本の深刻な対米従属について、加藤は、「米国との軍事同盟の強化は、アジアでの孤立から脱出すために役立たないばかりでなく、現状ではむしろそれを強化するようにみえる」と指摘する。日本が「歴史認識」に固執するかぎり、アジアの人びとの反日感情と対日批判のいら立ちは、おそらく再び爆発するだろうという見通しにたって、加藤がのべる「それは日本のみならず、アジア、殊に東北アジアにとっての大きな不幸」という言葉にほとんど共感する。
本書第二部の成田龍一「戦後思想史のなかの加藤周一」は、よく整理された加藤周一論になっている。