戦後責任論


原本が出版されてすでに丸6年は経過しているが、その主張の射程は現在をとらえていると思う。以下はcoleo流メモ。

責任の意味

本書の題名にかかわる責任ということを、高橋哲哉は、responsibilityということばを用いて、「応答可能性」という切り口でとらえようとする。
考えてみると、高橋がいうように、あらゆる社会、あらゆる人間関係の基礎には人と人が共存し共生していくための最低限の信頼関係として、呼びかけを聞いたら応答するという一種の約束がある。人間が言葉を語り、他者とともに社会の中で生きていく存在であるのならば、否が応でもこの約束に拘束される。これを破棄する、つまりいっさいの呼びかけに応答することをやめるときには、人は社会に生きることをやめざるをえないし、結局は「人間」をやめざるをえない。

要するに人間はそもそもresponsibleな存在、他者の呼びかけに応答しうる存在。responsibility つまり応答可能性としての責任の内にある存在であると高橋はのべている。responsibilityの内に置かれるとは、そういう応答をするのかしないのかの選択の内に置かれることを指しているだろう。

応答可能性としての戦後責任

以上のような応答可能性としての責任という観点で「戦後責任」を考えるとどうなるのか、を高橋は『戦後責任論 (講談社学術文庫)』で明らかにしている。

戦後責任は戦争責任と密接不可分のものだから、高橋も、日本がアジア諸国を侵略し、植民地や占領地にし、さまざまな国際法違反や戦争犯罪、迫害行為をおこなったことにたいする責任であること、つまり罪責という意味での責任をまず明確にしている。その上で、この罪責としての責任も応答可能性としての責任という観点でとらえられると主張する。それを殺人を犯した人を例にとり以下のように説明している。
殺すな、殺さないでくれ、という他者のぎりぎりの叫び、呼びかけ、訴えを無視して、その他者との呼びかけ=応答関係を最も深刻な形で破壊した。そのことによって、責任=応答可能性によって成り立っている社会から自分自身を追放したのであると。だとすると、その殺人者が処罰に服し、償いをするという行為は、自分自身をもう一度他者との関係の中に連れ戻すことにほかならない。他者の叫びに遅ればせながら応答し、この遅れはもちろんすでに絶対に取り戻せない遅れだが、にもかかわらず、遅ればせながらも他者の叫びに応答して、社会関係の中に自分を置き直すことと解釈できるかもしれない。

戦後生まれの戦後責任

では、戦後生まれの日本人にとっての戦後責任はどうなるのか。それは、直接には罪責としての責任ではない。けれど、戦後生まれの日本人が問われている応答可能性としての責任は、日本の戦後責任だけではない。レスポンシビリティとしての責任は呼びかけや訴えのあるところに生じるから。いつでも、どこでもそれははじまるというのだ。

そして高橋は、「日本人として」の戦後責任の問題>に言及する。それは、植民地支配の罪責としての責任であり、その中心には日本の戦争犯罪者の不処罰(impunity)の問題が横たわっていることを高橋は指摘する。

敗戦後論』をめぐる論争

加藤典洋の著書『敗戦後論』をめぐる、高橋哲哉と加藤との論争はよく知られている。高橋は、加藤の平和憲法昭和天皇の戦争責任、戦死者の哀悼という主な論点について検討し、そこに新しいナショナリズムをみた。この論争で問われた点は、つまるところアジアの他者の存在だと私は思う。平和憲法にしても、昭和天皇の戦争責任にしても、戦死者の哀悼にしても、アジアの他者との関係を抜きに考えることはできない。加藤は、意識的にか無意識にか、アジアの他者を排除した。その他者の欠落した加藤の視座が高橋によって厳しく問われたのだ。