報われる社会、報われない社会。


「努力すれば報われる社会」*1とは、報われる者と報われない者の存在をもちろん前提にしている。勝ち組・負け組への分化ということになろう。
だから、この社会を語ることの政策的意味というか、「報われる社会」が押し出されるのは、すでにあった(と思われている)平等主義を否定することにある。
語る者からすれば、平等主義による「報われない者」の存在が許せなかったのである。この要求には、努力しなければ自己責任において報われないことを甘受せよということだ。

しかし、この議論は、努力する、できる条件があらかじめ異なることを欠落させている点でうさんくささは否めない。努力しても報われない条件をみていない。
しかも、こうして「努力すれば報われる社会」を実感するのは、
努力しても報われない者の努力にもとづくからである。

(2)「健全で創造的な競争社会」の構築とセーフティ・ネットの整備
 第二は、規制・保護や護送船団から決別し、創造性と活力にあふれた健全な競争社会を構築することである。経済戦略会議は、公務員制度の改革、規制撤廃や各種の制度改革の強力な推進、公会計制度の改善、財政投融資の抜本改革等を通じて、肥大化し非効率となっている公的部門のスリム化・効率化を実現させなければ、日本経済の再生は不可能と考える。同時に、日本経済の活力再生には、経済的・財政的に疲弊している地方の自立を促す制度改革が必要なほか、努力した者が報われる公正な税制改革や創造的な人材を育成する教育改革など個々人の意欲と創意工夫を十二分に引き出す新しいシステムの構築が不可欠である。

*1:すでに「日本経済再生への戦略」(1999年)にみられる。たとえば引用部分。