「あるある」報告書;窒息するメディア


「発掘! あるある大事典?」の納豆ダイエット捏造事件は、放送界のかかえる問題を私たちの前に表出させた。当ブログでは、納豆ダイエット捏造番組にみるマスメディアで、捏造に結びつく要因に商業主義があると指摘して、こうのべまた。
メディアの取材が過度の競争のもとにおかれ、各局・各社が争うのは視聴率と販売部数だ。しかも利益優先の経営のもとで効率的な取材が要求される。ここに捏造を生む素地がある。そこには視聴者・読者、市民の視点はない。


こんな実情は、関西テレビだけでなく、放送界にあまねく存在するものだといえる。
この捏造問題にかかわって同社は第三者委員をふくむ調査委員会を設置し、事件の全容解明と再発防止策を明らかにするために調査報告書を作成した。
この報告書には、私たちがこれまでほとんど知ることのなかった、凄まじいともいえるようなメディアの番組制作過程の現状が記されている。

いまのテレビ番組は、流れるテロップをみれば分かるように、ほとんどが外部委託で制作されている。「あるある」はそのなかでも完全パッケージ方式といわれるものを採っていて、委託先の日本テレワークはさらに再委託をしている。そうなると、もともとの委託先である関西テレビは、この制作過程全体にわたってチェック・管理するシステムをもつことが不可欠になるはずなのだが、これすら確保されていなかった。これは、たとえば今回問題となった捏造を見抜き修正していく力が委託元には欠けているということだ。


報告書はこうした捏造を見逃した背景として以下をあげています。?大手広告代理店、?委託先の大手プロダクション、?局内プロデューサーの脆弱化。
報告書には、本来ならプロデューサーが選定する権限をもつべき制作会社の選定、出演者の選任が実際は広告代理店等によってあらかじめ決められている実態が報告されている。
今回の場合、「あるある」が電通の買取番組であり、スポンサーが花王一社であったことを考えれば、報告の指摘を容易に理解できるのではないだろうか。


局内現場のプロデューサーの本来果たすべき役割を果たせない環境を、仮にメディアの窒息とよぶとすれば、この窒息をもたらす要因の一つが大手広告代理店だということだ。かつて築地編成局とまでいわれた電通の放送への「介入」ぶり。そして同社は、「使わせろ」「むだ使いをさせろ」などを戦略としていたのはよく知られている。

窒息をもたらす2つ目の要因が委託先の大手プロダクション、「あるある」捏造事件の場合、日本テレワークがこれにあたる。
たとえば以下のように指摘されている。私にはこの報告書の数字は衝撃的だった。


  • 「あるある」の番組制作予算(1本あたり、06年度)     3205万円
  • 同番組の再委託先の制作予算(=委託料、1本あたり)   887万円
  • 関西テレビのプロデューサー経費(1本あたり)          43万円

何よりもプロデューサー経費の著しい低さに驚いた。そして、本来の1本あたり制作予算が実際に制作する孫請け会社(=再委託先)では当初の3割にも満たない額に抑えられている事だ。関西テレビ日本テレワークに支払う委託料は増減があるにせよ、「あるある」がはじまって以来ほぼ上記額で維持されており、裏返せば、これは日本テレワークの高利益構造を示しているということである。
これは、下請け、孫請けという放送界の構造の中に巣くう商業主義の一面を表していると私は思う。そして、現実に泣くのは、弱い立場にある孫請け会社だということになる。
同時に、こうした三重構造と、もっと大本の大手広告代理店、そして大手プロダクションの番組制作過程と番組制作費への「介入」こそが、こうした事件の発生の大きな要因をもたらしている。調査報告書が伝える眼目はここにあるのではないだろうか。


ようするに、テレビ局が、大手広告代理店と大手プロダクションに依存すればするほど、局内メディア人の窒息がきつくなるという関係としてとらえられるのではないかと思う。
逆にいえば、メディア人の処遇をふくむ労働環境の改善と、効率をどこまでも追求する利益中心主義をあらためることが急務の課題として放送界に迫られているのではないか。



◇「花・髪切と思考の浮游空間」の記事の表記を一部あらため再掲した。